彼岸とは、サンスクリット語の「波羅蜜多(はらみった)」から来たと言われており、現世をこちら側の岸「此岸(しがん)」というのに対し、悟りや涅槃の境地を「彼岸」といいます。極楽浄土は西方十万億土にあると言われ、春分の日と秋分の日は真東から出た太陽が真西に沈み、現世が仏の世界に最も近づく日とされています。
この日に先祖供養とすると、魂が迷わず極楽浄土に行けると考えられたのです。この日は1日のうちで昼と夜の長さがほぼ同じになります。この日を挟んだ前後7日間が「彼岸」で、秋分の日を中心とした彼岸が秋の彼岸です。
秋分の日は天文計算上では、2011年までは毎年9月23日、その後2044年までは閏年に限り9月22日になり、平年は9月23日と計算されているようです。このように天文学に基づいて祝日が決定されることは世界的に見ても珍しいことだそうです。
秋の彼岸には、寺院では彼岸会という法要が行われ、読経や説法が行われます。また、各家庭でも祖先を敬い、おはぎや団子を仏壇に供えたり、墓参りをしたりします。春の彼岸には豊作を祈りますが、秋の彼岸は収穫を前に感謝の気持ちを込めて先祖を祀ります。これはその発端が6世紀ごろと言われ、日本独自の民俗行事です。
これほどまで古い起源を持つ行事が、なぜ今も尚廃れずに人々の生活の中に浸透しているのでしょうか。恐らくそれは農耕民族の日本人が、仏教行事だけでなく、太陽を崇め、自然に宿る八百万の神様や祖先に豊作を祈るという神仏習合を生活に取り入れた例なのかもしれません。こうして自然と調和していくことにより、自然の移り変わりを観察し、農業の適期を肌で感じていたのでしょう。
ちなみに、秋の彼岸にはお萩、団子、五目寿司などを作り、仏壇や墓前に供えます。春のお彼岸にはお萩の代わりに牡丹餅を供えますが、牡丹餅は春に咲くボタンに似せて丸く大きめに作り、お萩は秋の七草であるハギに似せて小ぶりで長めに作られます。
彼岸花
彼岸花は、秋の彼岸が近くなると開花するために「彼岸花」と呼ばれます。別名として曼珠沙華というのは有名ですが、この名前は仏教名で、仏教では天上に咲くという架空の花とされています。
そのほかの別名として死人花、地獄花、幽霊花、剃刀花、捨子花、はっかけばばあなどと呼ばれることもあり、日本では不吉な花として嫌われることもあります。
彼岸花を採ってはいけないと言われるのは、球根部分にリコリンと呼ばれる毒を含んでいるからです。その有毒性から、かつてはモグラやネズミがあぜ道や土手に穴を開けるのを防ぐため、或いは、動物によってお墓が掘り起こされることのないように、土手やお墓に植えられました。1輪でも華やかさと優美さを持つ彼岸花は群生していても圧巻の美しさを放ち、見る人を魅了します。
また、欧米では数多くの園芸品種が開発され、韓国では花と葉が同時に出ることがないため「葉は花を思い、花は葉を思う」として「相思華」と呼ばれるそうです。
ちなみに学名はLycooris radiata(リコリス ラディアータ)。リコリスはギリシャ神話の海の精である「リコリアス」の名前から取られました。ちなみに、意外かもしれませんがヒガンバナ科の花は、ほかにアマリリス、クンシラン、スイセン、ネリネ、ダイアモンドリリー、ユーチャリスなどがあります。